【アバ的利休百首 Vol.42】柄杓にて白湯と水とを汲むときは汲むと思はじ持つと思はじ
柄杓の扱い最終日。
お付き合い頂きまして、ありがとうございます。
それにしても日増しにマニアックさが増していますが
どうしたものでしょうか。。。もう少し多くの人に楽しんで
もらえる方法はないものだろうか?と日々悩み中です。笑
柄杓にて白湯と水とを汲むときは汲むと思はじ持つと思はじ
■一般的解釈
柄杓でお湯、水を汲もうと思い、また柄杓を持つと思うから、
そのことに気をとられてしまい、肘を使って茶碗や釜にお湯を
注げなくなる。柄杓を体の一部だと思って扱えば他に気をとられる
ことがなくなるぞ!という教えですね。
最後にこれまでに登場した「柄杓の扱い」についてのおさらいです!
湯を汲むは柄杓に心つきの輪のそこねぬやうに覚悟してくむ
柄杓にて湯をくむ時の習には三つの心得あるものぞかし
湯を汲みて茶碗に入るる其時の柄杓のねぢは肱よりぞする
具体的な極意からどんどん抽象的な教えと展開してきましたね。
直接的に伝わってくる意外の裏側に潜んでいる教えを考えてみる。
結構、面白いものですね。
■アバ的解釈
ひとつのことに気をとられると、もうひとつのことが置き去りになる。
どこかで聞いたような気がしますね?笑
右手で道具を扱っているとき、左手がお留守になっていませんか?
という教えでしたね。柄杓で汲むときにはひとつの動きの中に複数の
要素が登場してくるので
あれを気にするとこれが。。。
みたいなことがよくおきます。笑 例えば、自転車を乗り始めたころ
前に進もう!進もう!
と漕ぐことばかりに神経を使っているとブレーキをつかって止まることを
忘れて壁に激突!なんてことも?(懐かしい思い出です。笑)
仕事でも、
成果を出すぞ!成果を出すぞ!
とばかり思いながらやると逆に空回りして、結果を出せないなんてこと
ありますよね?結局、何事も「自然体」で取り組みなさいよ!ということ
なのでしょうね。そのためにはもちろんテクニックやスキルを身につけ
なければいけません。
でも、結局は「自然体」=「心のゆとり」ということなのでしょうね。
「心のゆとり」どうやったらもてるようになるのか?その答え、利休百首
の中にあるかなあ?
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■ 参考文献
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