【コラム】「アート」と「茶道」の接点(2) ~千利休は「最強のキュレーター」?
2012.04.27
「茶道」と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか?
・敷居が高い
・作法が面倒くさい
・お金がかかりそう
正直言って、そのとおりである。そもそも「茶道」とは神様にお茶を献上する儀式が
ベースであり、貴族や武家、公家の芸事へと発展して行く。(室町時代)茶道具は
中国や朝鮮から伝来した高価な道具を利用し、どれだけ手に入りづらい珍しい茶道具を
所有しているかがステータスであった。
でも、その流れを大きく変化させたのが「千利休」である。(そのきっかけを
作ったのは利休の師匠である村田珠光らである)過去から伝わってきたものを
珍重しながらも、自分の美意識にあったものを全国の職人に作らせていく。
(海外製からMADE IN JAPANへシフト)
「アート」で考えてみると
[ 昔 ] セザンヌやゴッホなど西洋絵画を収集する(日本のバブル期)
↓
[ 今 ] 村上隆や奈良美智などのコンテンポラリーアートを収集する
という感じだろうか?
過去に生み出され、今でも評価されるものには理由がある。
しかしながら、ものごとはつねに進化し続ける。そして、人の価値観という
ものも変化するもの。だからこそ、現在という時間軸で評価されているものを
発掘し、育てていくことも大事なのだ。
そんな感覚が一見接点のない「アート」と「茶道」で共通しているように感じる。
今でこそ千利休が好んだ道具(楽茶碗、茶器、竹の茶杓・花入)は絶対の
評価であり、現代の人たちは珍重してやまない。しかし、400年前の時点では
村上隆のフィギュア級にアバンギャルドだったはずだ。
(決して過去を否定しているわけではない。400年たった今でも間違いなく
評価に値する道具は本当に数多くあるし、だからこそ今でも評価されているのだ)
そう考えると千利休は「最強のキュレーター」だったといえなくはないだろうか?
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「アート」と「茶道」の接点(1) ~何かが見えてきた気がする。アート茶会に向けて