【コラム:茶の湯とビジネス】村田珠光「心の文」
村田珠光「心の文」現代語訳
比道、第一悪ろき事は、心の我慢 我情也。
巧(こう)者をばそねみ、初心の者をば見下す事、一段勿体無き事共也。
こふしやには近づきて一言をも嘆き、又、初心の物をばいかにも育つべき事也。
比道の一大事は、和漢のさかいをまぎらかす事、肝要肝要、ようじんあるべき事也。
又、当時、冷え枯るると申て、初心の人躰が備前物、信楽物などを持ちて、人も許さぬたけくらむ事、言語道断也。
枯るるという事は、よき道具をもち、その味わいをよく知りて、心の下地によりてたけくらみて、後までひへやせてこそ面白くあるべき也。
又、差はあれ共、一向かなわぬ人躰は、道具にはからかうべからず候也。
いか様の手取り風情にても、嘆く所、肝要にて候。
ただ我慢 我情が悪ろき事にて候。
又は、我慢なくてもならぬ道也。
銘道にいわく、『心の師とはなれ、心を師とせざれ』と古人もいわれし也。
村田珠光「心の文」アバ茶流「ビジネス」読み下し
アバ茶流にビジネスの観点とあわせて読み下してみようと思います。
村田珠光「心の文」原文
古市播磨法師珠光
此道、第一わろき事ハ、心のかまんかしやう也、こふ者をは そねミ、初心の者をハ見くたす事、一段無勿躰事共也、
こふしやにハちかつきて一言をもなけき、又初心の物をはいかにもそたつへき事也、
此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事、肝要肝要、ようしんあるへき事也、又、当時 ひゑかるゝと申して、初心の人躰か、ひせん物しからき物なとをもちて、人もゆるさぬたけくらむ事、言語道断也、
かるゝと云事ハよき道具をもち、其あちわひをよくしりて、心の下地によりてたけくらミて、後まて、ひへやせてこそ面白くあるへき也、
又さハあれ共、一向かなハぬ人躰ハ、道具にハからかふへからす候也、いか様のてとり風情にても、なけく所肝要にて候、たゝかまんかしやうかわるき事にて候、又ハ、かまんなくてもならぬ道也、銘道ニいわく、
心の師とハなれ、心を師とせされ、と古人もいわれし也
出典:「表千家不審庵ホームページ」より