【アバ茶コラム Vol.17】なぜ「茶室」は狭くて、薄暗いのか?そこには「宇宙」が絡んでいた?
2014.06.27
「茶室はどうして狭くて、暗いんですか?」と質問されたとき、
僕がお話しする面白エピソードを書いてみたいと思います。
茶室=狭くて、暗い
この定義は正確に言うとちょっと違います。
千利休が考案した茶室は全般的に狭くて、暗く一畳台目(一畳と2/3畳)
という最小茶室を生み出しましたが利休以前(室町時代)は20畳近くある
「書院造」と呼ばれる広くて明るいもの、利休以後(江戸時代)は3畳程度で
少しゆとりがあり明るくなっていきます。
※かなり明るいですが、こちらは利休さんが作った「待庵(国宝)」と
同寸法(写し)のアクリル茶室です
なので「茶室」と言っても実はいろいろなスタイルがあるんです。
でも、あまりにも特徴的なので皆さんの中で「茶室=狭くて、暗い」
というイメージが定着しているのでしょうね。
室町時代 広くて明るい
戦国時代 狭くて暗い
江戸時代 比較的広目で明るい
■歴史からみる「茶室学」
では、何で時代によってこうも特徴が違うのでしょうか?
一番わかりやすい例として取り上げられるのが「時代背景」です。
「室町時代」は貴族や公家が中心の比較的平和で、足利家の「北山文化」「東山文化」
に代表されるように文化面でもさまざまなものが生まれた時代です。また「江戸時代」も
戦国時代の戦乱期を抜けて、以後徳川幕府による250年にわたる安定政権が続きます。
では、利休さんが活躍した「戦国時代」はというと全国で大名同士が戦い(=戦争)を行い、
混沌とした時代。簡単に言えばそこら中で人が殺し合いをしていて、とても不安定な時代です。
そして、自分すらいつ殺されるかもわからない緊張感あふれる時代だったんですね。
まさに「明」「暗」分かれる時代なんですね。その時代背景が茶室にも反映されています。
世の中が明るいと大勢で楽しく過ごしたくなりますから茶室も広く(書院造)て光をたくさん
取り入れた明るい茶室になります。
逆に、戦国時代は緊張感あふれる時代ですからそんな世界から離れて、ほっとできる密室で
時にはひそひそ密談なんかする場所として茶室が利用されていたんですね。茶道という文化も
大成しましたが、同時に政の中心地でもありました。
つまり、時代背景から求められるものが茶室という空間にダイレクトに反映されていました。
■宇宙からみる「茶室学」
この話しを太陽と年輪を研究している先生にお話ししたところ、そこには宇宙のパワーも
大きくかかわっていますね!という興味深いお話を!?
16世紀、日本が「戦国時代」という戦乱期だった頃、世界的でも『魔女狩り』や『ペストの大流行』と
暗い時代にありました。ちょうどその時代の年輪を見てみると幅が著しく狭くなっているのだそうです。
つまり、世界的にみて日照時間が短い「寒冷化時代」にありました。類似する事例としては
『第二次世界大戦』のときも同じく年輪の幅が著しく狭いそうです。日照時間が短くなると人間は
物理的に暗いほう、暗いほうへと進んでいきます。日照時間の短いエリアは自殺者が増えるなんていいますよね?
太陽の光が少ない = 地球全体が暗くなる = 人間の心も暗くなる
と宇宙から始まる連鎖反応が起きて、結果的にすべてのことが暗い方向に進んでいきます。
だから、そんな時代のピークに利休さんが作った「待庵」も究極的に小さく、暗くなったのでは?
というのがその先生の説です。これはなかなか面白いですね!
真正面からみた「茶室学」も面白いですが、
他分野からの要素も織り交ぜて解釈してみるとまた見方が変わりますね!